麻生太郎さんは、第92代内閣総理大臣や副総理、財務大臣などを歴任してきた政治家です。2026年現在も福岡県第8区選出の衆議院議員を務めており、衆議院の公式プロフィールでは自民党副総裁と紹介されています。
政治家としての経歴とともに注目されているのが、福岡県飯塚市を拠点としてきた麻生家です。「麻生太郎さんの実家は金持ち?」「実家は飯塚市のどこ?」「父親は何をしていた人?」「有名な豪邸は実家なの?」と気になる人も多いのではないでしょうか。
麻生太郎さん自身の発言を見ると、実家の経済状況についてかなり直接的に語ったことがあります。さらに、父方は現在の麻生グループにつながる実業家一族、母方の祖父は吉田茂元首相という家系です。
飯塚に残る麻生大浦荘との関係や、意外に質素だったという幼少期の生活、父親・母親や兄弟姉妹まで、家庭背景を知るうえで気になる内容を紹介します。
本人が国会で自身の家庭について「結構金持ちのうちでした」と発言しており、父方は1872年から続く麻生グループの創業家です。父・麻生太賀吉さんも家業を率った実業家で、複数世代にわたる大規模な事業経営が確認できます。
飯塚市の麻生大浦荘は麻生一族の歴史的な邸宅ですが、麻生太郎さん本人が幼少期を過ごした実家として公表されている建物ではありません。
※記事内で確認できる情報をもとに、実家リッチ名鑑独自の基準で判定しています。
麻生太郎の実家は金持ち?本人も「結構金持ちのうち」と発言
麻生太郎さんの実家については、家系や企業規模だけでなく、本人自身の発言も残っています。
まず、主なポイントを短く確認すると次のとおりです。
| 本人発言 | 国会で「結構金持ちのうちでした」と発言 |
| 家業 | 1872年の石炭採掘を源流とする麻生グループ |
| 出生地 | 福岡県飯塚市 |
| 父親 | 実業家・元衆議院議員の麻生太賀吉 |
| 麻生大浦荘 | 麻生一族の歴史的な邸宅の一つ |
| 母方の祖父 | 吉田茂元首相 |
家業、父親の経歴、麻生家の邸宅など複数の背景がありますが、なかでも注目したいのは、麻生さん自身が子ども時代の家庭について語っていることです。
2018年2月23日の衆議院財務金融委員会で、麻生さんは自身の子ども時代を振り返り、国会会議録に「私のところは結構金持ちのうちでした」との発言が記録されています。
同じ発言の中では、学習院に入ったころ革製のランドセルを使っておらず、卒業時にも自身はズックのかばんを使っていたと振り返っています。実家に経済力があったことと、日常生活で何でも贅沢に与えられていたことは同じではなかった様子が伝わります。
麻生家の家業は1872年の石炭採掘から始まった
現在の麻生グループにつながる事業を始めたのは、麻生太郎さんの父方の曾祖父にあたる麻生太吉さんです。
株式会社麻生の公式沿革によると、1872年に福岡県飯塚市の目尾御用山で石炭採掘事業に着手したことが、麻生グループの始まりとされています。
その後は石炭だけにとどまらず、銀行、電力、鉄道、病院、セメントなどへ事業を拡大しました。公式沿革でも、明治・大正・昭和初期に筑豊有数の炭鉱主として発展してきた経緯が紹介されています。
麻生太吉さんは企業経営だけでなく、衆議院議員や貴族院議員も務めました。麻生太郎さんの世代で突然大きな事業が始まったわけではなく、何代にもわたる家業があったことが麻生家の特徴です。
現在の麻生グループは130社
麻生家の事業は現在も続いています。
株式会社麻生の2026年の会社概要では、グループ社数は130社、2026年3月期のグループ総売上高は8,440億円、グループ社員数は18,014人とされています。
ただし、これらは2026年現在の企業グループの規模です。現在の売上高だけを、麻生太郎さんが生まれた1940年代の家庭の経済状況として扱うことはできません。
麻生さん本人の国会発言に加えて、当時すでに父親が家業を担っていたことや、さらに前の世代から事業が続いていたことが、実家の背景を知るうえで重要になります。
麻生太郎自身も麻生セメント社長だった
麻生太郎さん自身も、国会議員になる前は家業に携わっていました。
株式会社麻生の公式沿革には、1973年5月に父・麻生太賀吉さんが麻生セメント会長となり、麻生太郎さんが社長に就任したことが記載されています。
衆議院の公式プロフィールにも「麻生セメント(株)社長」と記されています。1979年に衆議院議員へ初当選する前には、政治家だけでなく家業を担う企業経営者としての経歴も持っていたわけです。
麻生家は、曾祖父の代から続く事業を背景に、父・麻生太賀吉さん、麻生太郎さんへと企業経営が受け継がれてきました。
麻生太郎の実家は福岡県飯塚市?麻生大浦荘は実家なのか
麻生太郎さんは1940年9月20日に福岡県飯塚市で生まれました。出生地は衆議院の公式プロフィールでも確認できます。
現在の株式会社麻生も飯塚市を拠点としており、麻生家と飯塚には長い関わりがあります。そのため「麻生太郎さんの実家は飯塚市のどこ?」という疑問につながっています。
一方、飯塚市に残る有名な「麻生大浦荘」と、麻生太郎さんが幼少期を過ごした住宅は同じものとして公表されているわけではありません。
小学3年生で福岡から東京へ移った
麻生太郎さんは幼少期を福岡で過ごした後、小学3年生のときに東京へ移っています。
学習院大学新聞社の本人インタビューでは、「初めに福岡の小学校に通っていた」としたうえで、吉田茂内閣の発足にともない両親と東京へ引っ越し、学習院初等科3年へ編入したと本人が振り返っています。
生まれたときから東京で暮らしていたわけではなく、父方の家業の本拠地でもある福岡で小学校生活を始め、その途中から東京へ移ったという流れです。
ただし、麻生さんが幼少期に暮らしていた飯塚市内の住宅について、現在広く知られている特定の邸宅と同じだったと示す本人発言や公式資料は確認できません。
麻生大浦荘は麻生太吉の長男・太右衛門の邸宅
麻生家の豪華な邸宅として有名なのが、福岡県飯塚市の麻生大浦荘です。
飯塚市観光ポータルによると、大浦荘は麻生家初代・麻生太吉さんの長男である麻生太右衛門さんの住宅として建築された、麻生一族の住宅の一つです。
大正末期に建てられたとされ、数寄を凝らした和風入母屋書院造りの邸宅で、現在は麻生グループの迎賓館として利用されています。普段は非公開ですが、期間限定で一般公開されることがあります。
麻生家にこうした歴史的な大邸宅が残っていることは、家柄や実家が注目される背景の一つでしょう。ただし、麻生大浦荘が麻生太郎さん本人の実家だったとは公表されていません。
麻生大浦荘は麻生一族の歴史的な邸宅ですが、麻生太郎さん本人が幼少期を過ごした住宅として紹介されている建物ではありません。
麻生太郎の父親・母親はどんな人?祖父は吉田茂
麻生太郎さんの家庭背景を知るうえでは、両親の経歴も欠かせません。
父親は麻生家の事業を率いた麻生太賀吉さん、母親は吉田茂元首相の三女である麻生和子さんです。父方には長い企業経営の歴史があり、母方には戦後政治を代表する吉田茂さんにつながる家系があります。
父親・麻生太賀吉は麻生家の事業を引き継いだ実業家
父親の麻生太賀吉さんは1911年に福岡県飯塚市で生まれました。
麻生太吉さんの孫にあたり、1933年に麻生商店へ入り、翌1934年には社長に就任。その後、麻生鉱業、麻生セメントの各社長や九州電力会長などを歴任した人物です。講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」などを収録するコトバンクでも、実業家・政治家としての経歴を確認できます。
1949年からは衆議院議員を3期務めており、企業経営と政治の両方に関わっていました。麻生太郎さんが1940年に生まれた時点では、すでに父親が麻生家の事業を担っていたことになります。
母親・麻生和子は吉田茂元首相の三女
母親の麻生和子さんは、元内閣総理大臣・吉田茂さんの三女です。
新潮社の著者プロフィールによると、和子さんは聖心女子学院を卒業し、吉田茂さんの私設秘書を務めました。1951年のサンフランシスコ講和条約締結会議にも同行し、その後は日英協会理事や麻生セメント会長などを歴任しています。
同プロフィールには、麻生太郎さんが長男、寬仁親王妃信子さまが三女であることも記載されています。父親だけでなく母親も、政治と企業経営の両方に近い環境にいた女性でした。
裕福な家でも母親は贅沢をさせない方針だった
麻生家の家業や両親の経歴だけを見ると華やかな印象がありますが、麻生太郎さん自身が語った子ども時代には、別の一面もあります。
2019年3月12日の参議院財政金融委員会で、麻生さんは学習院時代を振り返り、小学校卒業時に革製のランドセルではなかったのは自身と弟だけだったことや、中学生のころ麦飯の弁当を食べていたと話しています。この発言は国会会議録で確認できます。
2018年の国会では自ら実家について「結構金持ちのうち」と述べていますが、日常生活では同級生と比べて質素だったと感じる場面もあったことになります。
実家の経済的な背景と、子どもに何を与えるかという家庭内の方針は別だったことが伝わるエピソードです。
麻生さん自身の発言には、裕福な家庭だったという認識と、ランドセルや麦飯など質素な生活の記憶の両方が残っています。
母方の祖父は吉田茂元首相
麻生太郎さんの母方の祖父は、第45代、第48~51代内閣総理大臣を務めた吉田茂さんです。
学習院大学新聞社の本人インタビューでは、吉田茂さんについて、動物園や落語の寄席へ連れて行ってもらった思い出も語っています。政治家としてだけではなく、祖父と孫として交流していた様子もうかがえます。
父親が麻生家の事業を担う実業家、母方の祖父が元総理大臣という家庭背景は、麻生太郎さんの実家や家系が長く注目されてきた理由の一つです。
麻生太郎の兄弟姉妹と現在の麻生家
麻生太郎さんは、麻生太賀吉さんと和子さんの長男です。
妹の寬仁親王妃信子さまは過去のインタビューで「兄弟6人」と語っており、報道では太賀吉さんと和子さんの子どもは3男3女と紹介されています。信子さまが太賀吉さんの第三女子であることは、宮内庁の公式情報でも確認されています。
兄弟姉妹の中では、弟の麻生泰さんが長年にわたり麻生家の企業経営を担ってきました。
弟・麻生泰は現在の株式会社麻生会長
麻生太郎さんが国政へ進んだ後、麻生家の事業を担った人物の一人が弟の麻生泰さんです。
株式会社麻生の公式沿革では、1979年12月に麻生泰さんが麻生セメント社長へ就任したことが記録されています。
2026年の会社概要では、麻生泰さんが代表取締役会長、麻生巌さんが代表取締役社長を務めています。また、麻生千賀子さんと麻生将豊さんも取締役として掲載されています。
1872年に始まった事業が150年以上を経た現在まで続いており、複数世代にわたって家業が受け継がれていることも麻生家の大きな特徴です。
妹・信子さまは寬仁親王妃
麻生太郎さんの妹の一人が、寬仁親王妃信子さまです。
新潮社の麻生和子さんのプロフィールにも、信子さまが和子さんの三女であることが記載されています。麻生家は企業経営や政界に関わる人物だけでなく、信子さまを通じて皇室との親族関係もあります。
ただし、著名な親族が多いこと自体を実家の経済状況の根拠とするのではなく、麻生さん本人の発言、家業の歴史、父親の企業経営などとは分けて捉えるのが適切です。
麻生太郎の学歴と幼少期|福岡から東京の学習院へ
麻生太郎さんは福岡県飯塚市で生まれ、幼少期の途中まで福岡で生活した後、東京へ移りました。
小学3年生で学習院初等科へ編入し、その後も学習院で学び、1963年3月に学習院大学政経学部を卒業しています。大学卒業後は1966年に麻生産業へ入社しました。
麻生さんの生い立ちには、父方の家業の基盤でもある福岡県飯塚市と、学習院で学生時代を過ごした東京という二つの土地が関わっています。
現在の政治家としての姿だけを見ると、最初から東京の政治家一家で育ったような印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、本人は最初に福岡の小学校へ通い、途中から東京へ移ったことを語っています。
父方の「筑豊の事業家一族」と、母方の「吉田茂元首相につながる政治家一族」。その両方が麻生太郎さんの家庭背景に関わっています。
麻生太郎のプロフィール
実家や家系を中心に見てきましたが、基本プロフィールも確認しておきましょう。
| プロフィール項目 | 麻生太郎さんの情報 | 経歴・家系 |
|---|---|---|
| 名前 | 麻生太郎 | あそう たろう |
| 生年月日 | 1940年9月20日 | 2026年8月時点で85歳 |
| 出生地 | 福岡県飯塚市 | 衆議院プロフィールに記載 |
| 学歴 | 学習院大学政経学部卒業 | 1963年卒業 |
| 父親 | 麻生太賀吉 | 実業家・元衆議院議員 |
| 母親 | 麻生和子 | 吉田茂元首相の三女 |
| 母方の祖父 | 吉田茂 | 元内閣総理大臣 |
| 父方の曾祖父 | 麻生太吉 | 麻生グループ創業者 |
| 主な企業歴 | 麻生セメント社長 | 1973~1979年 |
| 現在 | 衆議院議員 | 2026年現在、自民党副総裁 |
衆議院の2026年4月現在のプロフィールでは、麻生太郎さんは福岡県第8区選出で当選16回。内閣総理大臣、副総理、財務大臣などを歴任し、現在は再び自民党副総裁を務めています。
政治家としての経歴だけでなく、その前の世代から続く麻生家の事業や両親の歩みをたどることで、実家が注目されてきた背景も見えてきます。
まとめ|麻生太郎の実家・家系について分かったこと
麻生太郎さんの実家や家系について、特に重要な内容は次のとおりです。
- 本人が国会で「結構金持ちのうちでした」と発言
- 父方は1872年創業の麻生グループにつながる家系
- 父・麻生太賀吉は実業家・元衆議院議員
- 母・麻生和子は吉田茂元首相の三女
- 出生地は福岡県飯塚市で、小学3年生から東京の学習院へ
- 麻生大浦荘は麻生一族の邸宅だが、本人の実家とは公表されていない
- 本人はランドセルや麦飯など質素な子ども時代も語っている
- 麻生家の事業は現在も複数世代にわたって続いている
麻生太郎さんの実家をたどると、本人自身の発言に加え、筑豊で事業を築いてきた麻生家と、吉田茂さんにつながる母方の家系という二つの大きな背景があります。
一方、飯塚の麻生大浦荘については、麻生家を代表する歴史的な邸宅ではあるものの、麻生太郎さん本人が育った実家として公表されている建物ではありません。
