元フィギュアスケート・ペア日本代表の高橋成美さん。
2012年の世界選手権で銅メダルを獲得し、2014年にはソチオリンピックへ出場しました。2018年の競技引退後は、解説やコーチング、タレントとして活動しています。松竹芸能の公式プロフィールでは、千葉県松戸市出身と紹介されています。
そんな高橋さんについて気になるのが、「実家はどこ?」「実家はお金持ちなの?」という家庭環境です。
2026年には静岡県内の実家がテレビで紹介され、本人も東京と静岡県伊東市で2拠点生活をしていることを公表。さらに、3歳から続けてきたフィギュアスケートでは、両親から長年にわたる金銭面・生活面の支援を受けていました。
実家の場所や父親・母親、姉との関係、北京での生活や学校環境まで、高橋さんが育った家庭について紹介します。
3歳からフィギュアスケートを続け、本格的な時期には1時間半のリンク代だけで約6万円、中学3年生ごろにはレッスン料などを含め1日約20万円かかることもあったと本人が明かしています。姉もフィギュア経験者で、両親が姉妹の競技費や送迎を長期間支えていたことから、裕福な家庭だったと判断できる材料があります。
本人や家族が「実家は金持ち」と直接明言した情報や、実家の資産額・世帯年収は公表されていません。中学3年生ごろの「1日約20万円」は特定の練習環境で必要になることもあった金額で、競技生活を通して毎日かかっていた金額ではありません。父親の具体的な勤務先や職種も公表されていません。
※記事内で確認できる情報をもとに、実家リッチ名鑑独自の基準で判定しています。
高橋成美の実家は金持ち?スケートへの大きな支援が注目される
高橋成美さんの家庭環境では、幼少期から続いたフィギュアスケートへの大きな支援が特徴的です。本人が明かした競技費用や、姉妹を支えた両親のサポートから家庭環境が見えてきます。
1時間半のリンク代だけで約6万円だった
高橋成美さん本人や家族が「実家は金持ちだった」と明言した情報は、2026年9月時点では確認できません。
一方、高橋さん本人が語っている幼少期をたどると、家族からかなり大きな支援を受けながらフィギュアスケートを続けていたことが分かります。
特に印象的なのが競技にかかっていた費用です。高橋さんは2026年5月31日放送の『ななにー 地下ABEMA』で、アイスリンクを貸し切る場合、1時間半のリンク代だけで約6万円かかり、さらにコーチ代が必要だったと説明しています。ABEMA TIMESでは、幼少期から両親が競技生活を支えていた本人発言も紹介されています。
スケートだけでなく、競技に必要なクラシックバレエなどのレッスンも受けていたそうです。高橋さんは両親について「考えたくないほどのお金を費やしてもらいました」と振り返っています。
中学3年生のころには1日約20万円かかった時期も
中学3年生のころには、ペア競技を続けるための負担がさらに大きくなっていました。
高橋さんによると、当時の日本ではペアの練習枠を確保するのが難しく、午前2時から5時ごろの時間帯に練習することもあったそうです。1時間の練習に5~6万円ほどかかり、レッスン料などを含めると1日約20万円必要になることもあったとCHANTO WEBのインタビューで語っています。
この金額が競技生活を通して毎日必要だったという意味ではありません。それでも、父親が「さすがにこれ以上はダメ」という状況になったほど、家族にとって大きな負担だったことが分かります。
それでも競技を続け、高橋さんは世界選手権のメダリスト、そしてオリンピック代表まで到達しました。華やかな実績の裏では、両親が長期間にわたって競技生活を支えていたのです。
姉妹そろってフィギュアスケートをしていた
高橋家でフィギュアスケートをしていたのは成美さんだけではありません。
姉の美澄さんもスケートをしており、姉妹で学校やレッスンの時間が少しずつ異なっていました。そのため両親は、学校とスケート場を1日に4往復することもあったそうです。
高橋さんは当時について、両親がずっと付きっきりで支えてくれたと振り返っています。費用だけでなく、毎日の送迎や練習時間に合わせた生活まで含め、高橋家では長い期間、家族全体がフィギュアスケート中心の生活を送っていました。
高橋成美の実家はどこ?静岡県伊東市と千葉県松戸市の関係
高橋成美さんの実家について調べると、「千葉県松戸市」と「静岡県伊東市」という2つの地名が出てきます。
松戸市は高橋さんの公式プロフィール上の出身地です。一方、2026年には静岡県内にある両親が住む実家がテレビで紹介され、本人も静岡県伊東市に家族の拠点があることを明かしています。
出身地は千葉県松戸市
高橋さんの出身地は千葉県松戸市です。
3歳からフィギュアスケートを始めましたが、その後は父親の転勤や自身のスケート環境に合わせて生活する場所が何度も変わっています。
2026年の『櫻井・有吉THE夜会』では、高橋さん自身がスケートのために引っ越しが多く、学校は「13回くらい転校してました」と明かしました。
そのため、松戸市は公式プロフィール上の出身地ではあるものの、幼少期をずっと同じ家で過ごしたわけではありません。
2026年には静岡県内の実家をテレビで公開
2026年5月7日放送のTBS系『櫻井・有吉THE夜会』では、静岡県内にある両親が住む実家が紹介されました。
高橋さんは東京で一人暮らしを始めることになり、それまで支えてくれた母親への親孝行として、実家の庭を愛犬のためのドッグランへリフォームしています。
スポーツ報知配信の記事によると、人工芝などを使った工事費は約130万円。予想以上の金額に高橋さん自身が驚く場面もありました。
ただし、この約130万円は高橋さん本人が負担した親孝行のためのリフォーム費用です。この金額自体を、実家が裕福だった根拠として扱うものではありません。
静岡県伊東市には「家族で持っている拠点」がある
さらに2026年5月、高橋さんはテレビ東京系の番組で、東京と静岡県伊東市の2拠点生活をしていることを明かしました。
伊東市の住まいについて本人は「家族で持っている拠点」と説明。ペットを飼うために、自由に散歩できる環境を求めたことも話しています。発言内容はORICON NEWS配信の記事でも報じられています。
ここで気になるのが、『THE夜会』で紹介された静岡県内の実家と、伊東市にある「家族で持っている拠点」が同じ家なのかという点です。
今回確認した報道では、両者が同じ住宅であるとは明言されていません。静岡県伊東市に家族所有の拠点があることまでは確認できますが、テレビで公開された実家と同じ家だとは断定できません。
2024年には両親のマンションの1つ下の階で生活
高橋さんと両親の距離の近さが分かるエピソードは、2024年にもありました。
日テレNEWS NNNによると、三浦半島への移住生活に挑戦するまで、高橋さんは両親が住むマンションの1つ下の階に住んでおり、「ほぼ実家生活」と紹介されていました。
大学時代に半年ほど一人暮らしを経験したものの、それ以外は一人で暮らした経験がほとんどなかったそうです。
当時、高橋さん自身も、お金の管理を親に任せていて分からないことが多く、料理もほとんどしたことがないとコメントしていました。幼いころの競技生活だけでなく、大人になってからも両親との結びつきが強かったことが分かるエピソードです。
高橋成美の父親・母親はどんな人?家族で競技生活を支えた
高橋成美さんの実家や家庭環境を知るうえで、両親の存在は欠かせません。
競技費用だけでなく、海外生活、学校への送迎、食事、練習環境など、高橋さんのフィギュアスケート人生には家族の支えが長く続いていました。
父親は転勤が多く中国・北京へ家族で移住
高橋成美さんの父親について、具体的な勤務先や職種は公表されていません。
一方で、海外を含む転勤のある仕事をしていたことは本人のインタビューから確認できます。
高橋さんは小学4年生のころ、父親の転勤で中国・北京へ移住しました。転勤先の候補にはアメリカと中国があり、高橋さんは当時憧れていたペアスケーターの申雪さん・趙宏博さんがいたことから、中国を希望したとCHANTO WEBのインタビューで語っています。
結果的に家族で北京へ移り、高橋さんは現地でフィギュアスケートの練習を続けました。
父親に海外転勤があったことは分かっていますが、その事実だけから勤務先や職業、年収まで判断することはできません。
母親は食事や送迎など生活面でも支えた
母親は、高橋さんの競技生活を日常の部分から支えていました。
2026年の『THE夜会』では、高橋さん自身が選手時代について「母親に頼りっきりだった」と振り返っています。特に食事面では、母親が30品目ほどを意識して料理を用意していたと明かしました。
さらに、幼少期には姉妹の学校とスケート場を何度も往復して送迎。競技を続けるための費用だけでなく、食事や移動、日々の生活まで家族が支えていたことになります。
2026年に実家へドッグランをプレゼントした背景にも、現役時代に母親へ頼ってきたことへの感謝がありました。
姉・美澄もフィギュアスケート経験者
高橋さんには姉の美澄さんがいます。
美澄さんもフィギュアスケートをしており、姉妹そろって競技に取り組んでいました。姉妹それぞれに学校や練習時間があるため、支える両親の負担も小さくありませんでした。
高橋さんのスケート人生というと本人の努力や競技成績に目が向きますが、幼少期から家族単位で競技生活を組み立てていたことも大きな特徴です。
高橋成美は中国生活や学校など教育環境も特徴的
高橋成美さんの実家が注目される背景には、フィギュアスケートだけではなく、海外生活や学校環境もあります。
ただし、中国で暮らしていたことや私立高校へ通ったことだけで家庭の経済状況を決めることはできません。高橋さんの場合は、父親の転勤と自身の競技活動が重なり、一般的な学生生活とはかなり異なる環境を経験しています。
小学4年生から中国・北京で生活
高橋さんは小学4年生から中学2年生ごろまで、父親の転勤に伴って北京で暮らしていました。
中国ではナショナルチームの選手たちと練習する環境にも入り、中国語を身につけています。
中国へ移住して間もない小学4~5年生では日本人学校に通い、小学6年生ではインターナショナルスクールへ転校。その後、中学1~2年生では現地の中学校に通ったと本人が明かしています。
現在の松竹芸能の公式プロフィールでも、特技として英語・中国語が堪能と紹介されています。
小学5年生では一人で仙台へ下宿
北京で生活していた時期、高橋さんは小学5年生で一時帰国し、仙台で都築章一郎コーチの自宅に下宿していたこともあります。
親や姉と離れ、学校へ通いながらスケートの練習を続けました。このとき同じ練習環境にいたのが、3歳年下の羽生結弦さんです。高橋さんは女性自身のインタビューで、羽生さんと同じ小学校に通い、一緒に練習していたころの思い出を語っています。
まだ小学生の娘を一人で仙台へ送り出していたことからも、高橋家が高橋さんのフィギュアスケートを本格的な競技として支えていたことがうかがえます。
渋谷教育学園幕張高校へ進学した背景にもスケート費用があった
中学生になって日本へ戻った高橋さんは、その後、渋谷教育学園幕張高校へ進学しました。
高校受験には、フィギュアスケートにかかっていた費用も関係しています。
当時、日本でペア競技を続けるには多額の費用が必要な状況になり、父親から冗談交じりに「渋谷教育学園幕張高校に行けたらスケートを続けていいよ」と言われたそうです。
高橋さんは受験を決意し、3か月ほど塾へ通って合格したと振り返っています。単に「私立高校へ通っていた」という話ではなく、競技を続けることと進学が結びついていた点が、高橋さんならではの学生時代です。
慶應義塾大学総合政策学部へ進学
高校卒業後は慶應義塾大学総合政策学部へ進学しました。
慶應義塾体育会の公式記録では、総合政策学部1年だった2010年12月に、ISUジュニアグランプリファイナルのペア種目で優勝したことが確認できます。
現在の松竹芸能公式プロフィールにも、慶應義塾大学総合政策学部卒業と掲載されています。
北京での生活、仙台での下宿、高校受験、大学進学と、高橋さんはフィギュアスケートを続けながら何度も生活や学校環境を変えてきました。競技費用だけでなく、こうした環境の変化に合わせて家族が生活を支えてきたことも、高橋さんの実家や生い立ちを知るうえで見逃せない部分です。
高橋成美の実家・家族についてまとめ
高橋成美さんの家庭環境をたどると、フィギュアスケートを中心に、両親が長期間にわたって生活と競技の両面を支えてきたことが分かります。実家の場所についても、出身地と現在確認できる家族の拠点では違いがあります。
高橋さんは、フィギュアスケートの競技費や関連レッスン、姉妹への長期的な送迎など、家族から継続的な支援を受けて育っています。こうした競技支援を見ると、一定以上の経済的余裕がある家庭だったと判断できます。一方、父親が競技費の負担に限界を感じた時期もあり、具体的な資産額や世帯年収まで判断できる情報は公表されていません。
記事作成・判定にあたり、主に参照した資料です。
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