SUPER EIGHT(旧・関ジャニ∞)のメンバーとして活動し、近年は後輩のプロデュースや会社経営にも携わっている大倉忠義さん。父親が焼鳥チェーン「鳥貴族」の創業者・大倉忠司さんであることでも知られています。
STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールによると、大倉忠義さんは1985年5月16日生まれの大阪府出身です。
父親が全国展開する飲食チェーンの創業者となると、「実家は金持ちなの?」「東大阪市のどこにある?」「鳥貴族が実家なの?」と気になるところですよね。
ただし、大倉忠義さんが生まれた1985年は、鳥貴族も東大阪市の小さな1号店から始まったばかりの時期です。幼少期の家庭環境や父親の創業時代、東大阪市とのつながり、実家住所や火事の情報、母親・弟を含む家族構成まで紹介します。
父親が鳥貴族の創業者で、現在は東証プライム上場企業の代表取締役社長CEOを務めていることは確認できます。一方、大倉忠義さんが生まれた1985年は鳥貴族1号店の創業直後で、幼少期は事業の創業・拡大期と重なっています。当時の資産額や生活水準を直接示す公表情報までは確認できないため、判断できずとします。
大倉忠義さんの誕生時は鳥貴族1号店の創業直後で、父親は事業拡大の途上でした。実家の資産額や当時の世帯収入は公表されていません。
※記事内で確認できる情報をもとに、実家リッチ名鑑独自の基準で判定しています。
大倉忠義の実家は金持ち?父親の鳥貴族と育った環境
大倉忠義さんの実家に「金持ち」というイメージが生まれる大きな理由は、父親の大倉忠司さんが「鳥貴族」の創業者であることです。まず、現在公表されている内容を短く確認すると次のとおりです。
| 金持ち説の背景 | 父親が鳥貴族の創業者 |
| 父親 | 大倉忠司さん・会社経営者 |
| 幼少期 | 鳥貴族の創業・拡大期と重なる |
| 実家の地域 | 東大阪市とのつながりを本人・報道で確認 |
| 実家住所 | 個人宅の詳しい住所は公表なし |
| 火事 | 全焼したのは鳥貴族の店舗 |
父親が鳥貴族創業者であるため裕福なイメージがありますが、大倉忠義さんの幼少期はまだ事業の創業・拡大期です。「生まれたときから全国チェーン経営者の裕福な家庭だった」というイメージとは事情が異なります。
大倉忠義が生まれた1985年に鳥貴族1号店も誕生
鳥貴族1号店「俊徳店」が大阪府東大阪市にオープンしたのは、1985年5月1日です。
大倉忠義さんが生まれたのは同年5月16日。鳥貴族の創業からわずか15日後でした。2024年の『しゃべくり007』でも、大倉さん自身が鳥貴族と自分は「同い年」だと話しています。父親とのエピソードはスポニチの番組紹介記事でも報じられました。
鳥貴族40周年公式サイトによると、創業時の俊徳店は10坪ほどの小さな店舗でした。当初から全国チェーンを目標にしていたものの、業績が安定せず、均一価格への転換などを経て店舗を広げていきました。
大倉忠義さんの誕生と鳥貴族の創業時期がほぼ重なっているため、少年時代は父親が店を一から大きくしていく時期そのものだったことになります。
鳥貴族創業時には祖父母の家を担保にしていた
父・大倉忠司さんの起業も、資金面で余裕のある状態から始まったわけではありません。
2017年のテレ朝POSTのインタビュー紹介では、忠司さんが25歳で鳥貴族1号店を開く際、両親の家を担保に借り入れを行ったことが紹介されています。開店後も売り上げが伸びず、倒産の危機を経験したとされています。
ここでいう「家を担保にした」という話は、大倉忠義さんが育った実家ではなく、父・忠司さんの両親の家についてのエピソードです。
全国に店舗を構える現在の鳥貴族からは想像しにくいものの、創業当初は家族の支えを受けながら事業を軌道に乗せようとしていた時期でした。
父親は鳥貴族を大きくするため家にほとんどいなかった
大倉忠義さん自身も、幼少期の家庭について具体的に話しています。
2024年7月放送の『しゃべくり007』では、父親が店を大きくするため非常に忙しく、ほとんど家にいなかったと回想。当時の家庭を「母子家庭みたいな」と表現していました。
父親が鳥貴族の店舗を増やすことに奔走していた時期と、大倉さんの幼少期が重なっていたことが本人の言葉からも伝わります。
新聞配達をしながら学校や芸能活動へ通った時期も
大倉忠義さんは若い頃、新聞配達のアルバイトも経験しています。
2026年2月のTOKYO FM『木村拓哉 Flow』では、木村拓哉さんから新聞配達をしていた当時について聞かれ、大倉さんが芸能活動を続けようとした理由を振り返っています。番組内容はTOKYO FM公式サイトで公開されています。
また、父親は息子が父の会社の力で有名になったと思われることを避けるため、鳥貴族との親子関係を公にしない方針だった時期があったと、大倉さん自身が明かしています。
大倉忠義の実家住所は東大阪市のどこ?
大倉忠義さんの実家については、東大阪市とのつながりがたびたび紹介されています。ただし、家族が暮らしていた個人宅の詳しい住所は公表されていません。
東大阪市が地元であることは確認できる
STARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールでは、大倉忠義さんの出身地は大阪府とされています。
父・忠司さんが1985年に鳥貴族1号店を開いたのも東大阪市です。2025年には同市で俊徳店が期間限定で復活し、大倉忠義さんも地元への思いを語っています。
大倉さんの幼少期と東大阪市、そして鳥貴族1号店には長いつながりがあることが分かります。
鳥貴族俊徳店と大倉家の実家住所は別
「大倉忠義の実家=鳥貴族」と表現されることがありますが、鳥貴族は父親が創業した会社であり、店舗そのものが大倉家の住宅だったという意味ではありません。
2025年に復活した俊徳店は、鳥貴族の公式発表で東大阪市にある営業店舗として案内されています。一方、大倉家が暮らしていた個人宅の番地や建物について、本人や所属先が公表した情報は見当たりません。
俊徳店は鳥貴族の営業店舗です。大倉家の自宅として公開された場所ではありません。
大倉忠義の実家が火事で全焼した?噂を確認
「大倉忠義 実家 火事」という言葉も見かけます。実際に2024年11月、鳥貴族の店舗で建物が全焼する火災が発生しました。
火事があったのは鳥貴族の深江橋店
鳥貴族は2024年11月10日、加盟企業が運営する「鳥貴族 深江橋店」で火災が発生したことを公式発表しています。
鳥貴族の公式発表によると、火災が発生したのは大阪市東成区にある深江橋店で、店舗建物が全焼し、隣接する建物にも延焼しました。
父親が鳥貴族の創業者であることから大倉忠義さんの実家と結びつけて受け取られることがありますが、発表されている火災現場は鳥貴族の営業店舗です。
大倉家の実家住宅が全焼したという発表は見当たらない
鳥貴族の発表では大倉家の個人宅について触れられておらず、大倉忠義さん本人や所属先からも、実家住宅が全焼したとする発表は見当たりません。
2024年に全焼したのは鳥貴族深江橋店です。大倉忠義さんの実家が全焼したとする公式発表は確認されていません。
大倉忠義の父親・母親・兄弟など家族構成
大倉忠義さんは、父親・母親・本人・弟2人の5人家族で育ったことが知られています。2024年の『しゃべくり007』関連報道でも、大倉さんは「男3人兄弟」の長男として紹介されています。
父親は鳥貴族創業者・大倉忠司
父親の大倉忠司さんは鳥貴族の創業者です。エターナルホスピタリティグループの会社概要では、2026年9月時点でも代表取締役社長CEOを務めていることが確認できます。同社は東京証券取引所プライム市場に上場しています。
一方、大倉忠義さんは幼い頃から父親に会社を継ぐよう求められていたわけではありません。
2024年の『しゃべくり007』では、父から昔から「継がせない」という方針を聞かされていたと明かしました。当時まだ鳥貴族が3店舗ほどだった頃から、その考えを伝えられていたそうです。弟たちについても、鳥貴族の経営には入っていないと本人が話しています。
父から教えられた「人の長所を見ろ」
父親から受けた影響について、大倉忠義さんは2026年にも話しています。
テレビ朝日系『MEGUMIママのいるBar』では、特別な帝王学を教え込まれたわけではないとしながら、幼い頃から父親に「人の長所を見ろ」と言われていたと明かしました。
芸能活動についても父親は長く応援しており、夢を簡単に諦めないよう励ましてくれたと振り返っています。本人の発言は日刊スポーツでも紹介されています。
会社を継ぐことを求めるのではなく、大倉さんが選んだ芸能活動を父親が応援していたことが分かります。
母親について語った幼少期の家庭の様子
母親は芸能活動をしている人物ではなく、氏名や現在の職業などについて公式プロフィールで詳しく公表されているわけではありません。
大倉忠義さんが具体的に語っているのは、父・忠司さんが鳥貴族の事業拡大で忙しく、家にほとんどいなかったという当時の状況です。本人はその頃を「母子家庭みたいな」と振り返っています。
父親の経営者としての姿が注目される一方、家庭では母親と3人の息子が過ごす時間の多い時期があったことをうかがわせる発言です。
兄弟は弟が2人!大倉忠義は3兄弟の長男
大倉忠義さんには弟が2人おり、3兄弟の長男です。
2024年の番組では、家では兄という立場だった一方、SUPER EIGHTでは最年少という違いについても話していました。弟2人は一般の方で、詳しいプロフィールを本人や所属先が広く公表しているわけではありません。
鳥貴族の後継については、大倉忠義さんだけでなく弟たちも経営に入っていないと本人が説明しています。
鳥貴族40周年で父子共演!現在は大倉忠義自身も経営者に
かつては鳥貴族との親子関係を前面に出していなかった大倉忠義さんですが、近年は父・忠司さんと公の場で並ぶ機会も増えています。
2025年には鳥貴族40周年企画で父子共演が実現し、東大阪市で復活した1号店「俊徳店」のオープニングセレモニーにもそろって登壇しました。
鳥貴族の公式発表によると、俊徳店の復活は、2024年に鳥貴族公式Xへ寄せられた大倉忠義さんの「1号店を復活させてほしい」という趣旨の投稿がきっかけになっています。
さらに2026年8月8日には、カンテレの特番で父子がバラエティー番組初共演。ORICON NEWSでは、東大阪市の俊徳店で親子2ショットトークが実現した様子が報じられました。
大倉忠義もJ-Pop Legacyの代表取締役に
大倉忠義さんは現在、自身の会社でも経営者として活動しています。
J-Pop Legacy公式サイトでは、大倉さんが代表取締役として、2026年も「タレント」と「経営者」の両輪で活動していく考えを発信しています。
同年には憧れている人物として父親を挙げ、鳥貴族を大きくした姿について「かっこいい」と語りました。子供の頃には家にほとんどいないほど忙しかった父親を、現在は自身も経営に携わる立場から見るようになっています。
大倉忠義さん自身も現在は会社経営に携わっています。鳥貴族を受け継ぐのではなく、自身が立ち上げたJ-Pop Legacyで経営者としての道を歩んでいます。
大倉忠義の実家・家族に関するまとめ
大倉忠義さんの実家や家族について、重要なポイントを振り返ります。
- 父親は鳥貴族創業者だが、大倉忠義さんの幼少期はまだ創業・拡大期だった
- 鳥貴族1号店は1985年5月1日、大倉忠義さんは同年5月16日に誕生
- 創業時は約10坪の店舗で、父・忠司さんは両親の家を担保に開業資金を用意した
- 父親は事業拡大で多忙で、大倉さん本人は当時を「母子家庭みたいな」と回想
- 東大阪市とのつながりは確認できるが、個人宅の詳しい実家住所は公表なし
- 2024年に全焼したのは鳥貴族深江橋店で、大倉家の実家住宅ではない
- 大倉忠義さんは3兄弟の長男で、弟2人も鳥貴族の経営には入っていない
- 現在はJ-Pop Legacyの代表取締役として、自身も経営者として活動
父親が現在の鳥貴族を築いたことは、大倉忠義さんの実家に裕福なイメージが持たれる大きな理由です。一方で、生まれた頃はまだ1号店を始めたばかりで、創業期から事業拡大期にかけての具体的な家族エピソードも残っています。
現在の企業規模だけでは見えない家庭の歩みが、大倉さん本人の発言からも伝わってきます。
記事作成・判定にあたり、主に参照した資料です。
※掲載内容は記事作成・更新時点で確認した情報をもとにしています。






